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【報告】国際シンポジウム"Discourses and Aesthetics of Transpacific America/Asia"

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 トランスパシフィックと暫定的に名指される空間における言説と感性の編成をめぐる本シンポジウムは、越智博美氏の発表 "Re-introduction of American Literature in Post World War II Japan" から始まった。越智氏の発表は、戦後のアメリカにおける文学研究と日本におけるアメリカ文学研究とを接続し、それらの研究が敗戦国である日本を国際的な関係に再参入させることに貢献していたことを明らかにした。日本の文学研究者がアメリカの文学研究、アメリカのモダニスト文学、そして特にニュー・クリティシズムを受容することが冷戦期の日米同盟強化に寄与していたと論じられた。

 

 トロント大学で歴史学を教える Takashi Fujitani 氏は、進行中の研究の一部をなす発表 "Cold War Clint: Asia, America, Imperialism" において、映画製作者Clint Eastwoodの作品がアメリカの主流派によるアジア理解を反映し、かつその構築に貢献していると主張した。Letters from Iwo Jimaは、「正当な敵 justus hostis」として戦前の日本を構築することによって、戦後の環太平洋において安保体制を支える「友」としての日米表象に貢献している。その構築はアメリカと日本が文明化された国家であると想像する戦略の上に成り立っているが、日本とアメリカが共に帝国であったという事実を抹消している。しかしながら、Eastwood が製作に関わった Heartbreak RidgeFirefox、そしてGran Torinoという映画群の政治的無意識において、帝国の痕跡を見出すことができる。その痕跡は特に朝鮮戦争とヴェトナム戦争における傷というかたちで表れている。そのようにFujitani 氏は論を展開していた。

 

 討論者である宮本陽一郎氏は、アメリカ文学者であった父や戦争画を描いた祖父という個人的な歴史に言及することで、越智氏と Fujitani 氏の発表にコメントを与えた。戦後のアメリカ文学者はアメリカにおいても日本においても多様であり――たとえば社会主義的な活動に携わっていた者もいた――、国家的レベルでの日米関係の強化を望んではいなかった。それにもかかわらず、なぜ結果的に強化に協力してしまったのか。また、文化政策とその影響下で活動した文学者たちの行為との間に亀裂や齟齬はあったのか。政策による決定、行為者の意図、それらに起因する結果の不一致という問題が提起された。

 

 井上間従文氏の発表 "The Colors of Thinking after the Vietnam War"は、ヴェトナム戦争後の芸術作品における色彩の増大をめぐるものであった。芸術作品における色彩は、アメリカや太平洋沿岸で行われた反戦運動に現れた複数の人種による連帯方法を批判的に発展させることに貢献する。Robert Smithson のランド・アートSpiral Jetty、それに関する映像・エッセイ、Stephen Wrightの小説Meditations in Green、そして Monique Truong の小説 Bitter in the Mouth など色彩について考察する芸術群は「対−形象的なco-figurative」ナショナリティに混乱を与え、解除する可能性を持っている。井上氏はこうした芸術の抵抗可能性に注目していた。

 

 Dogs at the Perimeter で知られる小説家の Madeleine Thien 氏の発表 "The Field of Sound" は、John Cageから影響を受け、音楽が人権に関する言説であることや、聴くという技術が文学的な側面を持つことについて考察していた。Dimitri Shostakovich、Gustav Mahler、中国の作曲家 He Luting、カンボジアの歌手 Sin Sisamuth などの音楽や生涯を通じて、どのようにノイズ、サイレンス、言語の歪み、そして芸術の矛盾が我々と我々自身との関係に現れるのかを検討するものだった。音は人間の耳が感知できる以上に持続しているという知見に基づき、音楽は非公式の思考であり、聞くことは相互作用の第一歩であると Thien 氏は述べていた。発表中にはクラシック、ポップス、そして鐘の音という多様な音楽が会場で流れ、聴衆を魅了していた。

最後には討論の時間が設けられ、発表者たちは聴衆からの質問に答えた。監督としてだけでなく俳優としても映画製作に関わるEastwoodの男性性に関する応答や、作者の意図とその無意識との関係に関する応答など、刺激的な討論によってシンポジウムは終わりを迎えた。

 (博士後期課程 白木三慶)

 

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