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教員紹介

教員と研究領域/第一部門(人文総合)

鵜飼 哲

研究室:東キャンパス国際研究館5階
オフィスアワー:金曜日 15:00~16:00(メールでアポイントメントを取ってください。突然研究室を訪問されても受け付けられません)
連絡先:メールアドレスはスパム対策のため画像化されています
研究概要とメッセージ

従来の研究領域は20世紀フランスの文学と思想であり、とりわけ第二次大戦後の動向に注目してきた。その軸は作家ジャン・ジュネと哲学者ジャック・デリダの著作の研究であるが、この二人にはいずれも旧フランス植民地、とりわけマグレブ(北アフリカ)地域との深いかかわりがある。混成語論の私が担当するパートでは、この共通点を手がかりに、マグレブにかかわるフランス語による文学および思想を、言語論を媒介しつつ研究することを主な課題としている。しかしまた、マグレブという地域的限定に閉じこもらず今世紀のフランス文学、フランス思想全般に視野を広げると同時に、フランス語という使用言語にもかならずしも固執せず、中東アラブ世界や東アジアを含む植民地期、脱植民地期、ポスト植民地期の文学と思想、さらには民族的・文化的少数者による表現活動の研究を比較論的視点を導入しつつ扱うことによって、院生の多様な関心、研究意欲に応えるよう努力している。このような意図のもと、1996年度にはアルジェリアの脱植民地化の過程で著述活動を行ったマルチニック出身の精神科医フランツ・ファノンの『黒い皮膚・白い仮面』『地に呪われた者』、97年度にはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの『カフカ――マイナー文学のために』、98年度には同じくフランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルの『文学とは何か』、99年度にはシェイクスピアの戯曲『テンペスト』をめぐる現代の批評状況、とりわけピーター・ヒュームの『征服の修辞学』およびフランスの精神分析家オクターヴ・マノーニの『植民地化の心理学』をテキストとして取り上げた。このような領域の拡大は私の仕事の方向づけにも変化を及ぼしている。例を挙げると、「コロニアリズムとモダニティ」(『転換期の文学』ミネルヴァ書房、1999)では、竹内好、ヴァレリー、ファノン、デリダなどの所論を付き合わせつつ、植民地支配という現象を近代の意味との関連で世界的視野において哲学的に考察することを試みた。また、≪La cruauté d'une ellipse≫ (in Dédale, 9/10, 1999)のように、フランスの雑誌にポスト植民地期の日本における外国人の状況をフランス語で報告する作業も行っている。

私が指導するゼミの院生は留学生も含めて10校以上の大学の出身者からなり、当初は関心の多様さも手伝って相互に接点を持つのにやや困難が感じられゼミとしてのまとまりを欠いていたが、数年を経て、院生同士の学習会なども組織され、互いに刺激を与えあうなかで討論の基盤が形成されつつあるように見受けられる。院生の研究テーマには、マグレブのフランス語文学のほか、フランス思想(ベルクソン、バタイユ、サルトル、メルト=ポンティ、ブランショ、ドゥルーズ、レヴィナス、フランス・フェミニズム、バイリンガリズムの哲学的研究)、フランス文学(カミュ、ミショー)、フランス史(ジャンヌ・ダルク表象の史的変遷、絶対王政期宮廷儀礼研究)、植民地文化論(フランス大都市郊外の移民の子弟間での言語変容、パレスチナ文学、オリエンタリズム論、旧ソ連圏中央アジアの言語問題、ポスト植民地期イギリス移民論、沖縄研究、在日朝鮮人文学、在日朝鮮人の言語問題)などがあり、ポップアート批評史研究といった非言語情報との横断領域に属するものも含まれる。院生には博士後期課程進学後の留学をすすめており、すでに数名が海外で学んでいる。問題意識が明確で研究意欲が旺盛な院生が多いことは教師として大変嬉しいが、それだけに、個人的力量の限界から、院生の知的関心に応えきれていないことが苦しい。本ゼミで参照可能な言語はフランス語のほか英語及び日本語であるが、朝鮮語を必要とする研究テーマを持つ院生は本研究科内でその欠を埋めることができるのでさしあたり問題はない。一方、マグレブはいわゆるフランス語圏であると同時にイスラーム世界に属し、この地域の研究にはアラビア語が不可欠である。本研究科内でこの必要を満たしうる条件を整えることができれば、日本にこれまでなかったアラブ=イスラーム世界とフランス語圏にまたがる研究体制が確立されることになり、新たな共同研究の可能性が生まれるだろう。また、ポスト植民地研究、文化研究の方法論は近年イギリス、アメリカの大学で盛んに研究されているが、主としてフランス語圏に足場を置いてきた私は、この点の知識が豊富であるとは言えない。英語圏で研鑽を積んだこの方面に明るい研究者を同僚として迎えることができれば、本研究科全体にとって大きなプラスになることと思われる。

2000年3月