院生物語
散兎庵主人
むかし、男ありけり。歌を深くこころざして院にさぶらひけれど、さすがなるままに、歌枕問はせたまふにもよくしもえ応えで久しくなりけるを、わびて、あくがれ出でけり。もとより友とする人ひとりふたりして、行きけり。道知れる人もなくて、まどひ行きけり。三河の国、一橋といふ所にいたりぬ。そこを一橋といひけるは、わたるべき道のそれよりなければなむ、一橋といひける。その橋のほとりに、痩せがれたる桜いとおもしろく咲きたり。見る人もなきに、はらはらと散りかけたるを、「ひとつばしといふ五文字を句の上にすゑて、花の心をよめ」といひければ、よめる、
ひとのあらばとはまし風のつらきにもはなのこころやしづかなるらむ
行き行きて、駿河の国にいたりぬ。宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦、かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり。「かかる道は、いかでかいまする」と言ふを見れば、見し人なりけり。
あやにくに君は山にぞまどひけるわれは野に出でて書くぞわびしき
とて、記事をなむえさせける。思ひまうけず院のかくれさせたまひけるなる。うち泣きて、
言問はば語れと夢にしもあらでやち代の末に会はむとぞ思ふ