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言社研レクチャー シリーズ「一橋大学の文化資源」 開かずの扉がひらくとき: 一橋大学 商品陳列室・商品標本室の歴史と現況 【報告】
プログラム
第 1 部 15:30~16:30
研究報告
- 手塚 惠美子(一橋大学研究補助員)
- 「標本陳列の場:近代から現代へ」
- 小泉 順也(言語社会研究科准教授)
- 「モノから始まる想像力:商品学と学芸員資格科目の協働」
第 2 部 16:40~18:00
商品標本室の見学会
鼎談
- 片岡 寛(一橋大学名誉教授)
- 片岡 康子(経営管理研究科助手)
- 小泉 順也
報告
I. 概要
言語社会研究科の創設20周年を記念して、2016年に「言社研レクチャー」が始まった。その3回目の企画は「一橋大学の文化資源」と題して、一橋大学東本館1階にある商品陳列室・商品標本室を取り上げた。2017年度から、言語社会研究科と経営管理研究科の共同プロジェクトとして、このふたつの部屋の資料整理と研究が始まり、2020年3月まで続くことが決定している。その中間報告ともなる今回の企画では、2本の研究報告に始まり、参加者を交えた見学会を実施してから、最後に関係者による鼎談が行われた。参加者は定員の40人近くにまで達し、この企画を知った関西の学芸員の方も駆けつけてくださるなど、予想以上の反響であった。
とはいえ、商品陳列室・商品標本室という場所について、その存在や歴史を知る人はわずかであろう。これらの起源は、一橋大学が高等商業学校と呼ばれていた時代の1888年に開所した、商品見本陳列所にさかのぼる。そこには商品の見本が収集・展示され、物産誌の授業で活用されていた。この物産誌という呼称は、やがて商品学と改称され、商品というモノを通した教育が約1世紀にわたって継承されていた。しかし、1990年頃からは使用されなくなり、長らく部屋の扉は閉ざされてきた。現在の商品陳列室には実験機器や大型機械が多く所蔵されている。一方の商品標本室には、推定5000点に及ぶ多種多様な商品見本が陳列棚に納められている。今回の企画では、その過去・現在・未来が語られ、初めて商品標本室の扉が一般の見学者へ向けて開かれた。
II. 研究報告 (i)
この報告の執筆者である手塚は、2018年4月から研究補助員としてプロジェクトに関与している。今回の言社研レクチャーでは、これまで半年以上の間の調査研究と資料整理の状況を報告した。
高等商業学校商品見本陳列所の開設は1888年、これは近代日本の貿易拡張政策の一環として1896年に設置された農商務省商品陳列館より、8年早い。当初は、学生が貿易上重要な商品の研究を通じて鑑定・識別能力を養うことが目指され、学外の実業者への公開も計画されていた。海外で日本の文物が流行したジャポニスムと呼ばれる現象を背景に、主要な輸出品であった美術工芸品も所蔵されていたが、関東大震災による火災で、貴重な収蔵品のほとんどが焼失した。再興後には、収集や利用の方向性は大きく変容した。
2018年4月以来、商品標本室では、清掃、整理、サーキュレーター設置、劣化物や不要什器の廃棄などにより、環境が改善され、所蔵品のクリーニング、撮影、記録、保存作業が進んでいる。
8 月に開催された「自然科学系アーカイブス研究会」(国立科学博物館・高エネルギー加速器研究機構共催)では、全国各地の貴重な歴史資料・文化財等の保存と活用の取り組みが報告された。同研究会参加者との交流を通じて、本学の商品陳列室・商品標本室所蔵品の価値や意味に関する情報収集も前進し、今後の歴史的評価が期待される。
III. 研究報告 (ii)
続いて、小泉順也准教授の研究報告では、商品標本室との関わりと教育現場での活用、歴史的考察から、未来への展望までが語られた。2012年春の着任以前にキャンパスを訪れた際、既に商品標本室の存在に気づき、写真を撮影していたというエピソードも披露され、着任後には博物館実習などの授業で同室所蔵資料を活用されてきた。
「これは何なのか」「なぜここにあるのか」という素朴で根源的な問いは、体系化された学問とは異なる教育的効果をもたらす。さかのぼれば、明治期に開所した商品陳列所では、商品の実物に接する機会をつくり、鑑定力を養うという、モノを通した教育に価値が置かれていた。そうした歴史をもつ商品標本室所蔵品には、学芸員資格科目をはじめとする、教育の場での新たな活用の可能性が開かれている。
歴史的研究という点では、近代日本の海外進出や植民地政策において、本学が一橋大学となる以前の戦前期に担った役割という問題は、十分に検証されているとは言いがたい。今後は、関東大震災で初期の商品見本陳列所が焼失したのち、再興と資料収集に功績のあった奈佐忠行教授を、ひとつの歴史的な手掛かりとして考え、本学が所蔵する奈佐教授の肖像画などを含めた展示へとつなげてゆくことも可能だろう。
IV. 商品標本室所蔵品による小展示
また会場には、「SHOWA 50’ FOOD EXPO 一橋大学商品標本室から見る日本人の外食の拡がり」と題した、小展示のコーナーが設けられた。小泉先生は2018年度から、経営管理研究科の兼担教員として、特別講義(ホスピタリティ実習)を担当している。夏学期の集中講義として実施された授業には、社会人ならびに社会人経験のある受講者12人が参加した。
授業では、商品標本室に所蔵されている食品の宣伝用パンフレットやカタログの中から、各人が1点を選んで、解説文と展示用キャプションを作成するという課題が出された。受講生たちは、関連する食品メーカーに電話で問い合わせるなどして、予想を超える情報を収集し、こうした成果をひとつの展示に結びつけたのである。今回の言社研レクチャーでは、その展示を再現し、学内資料を教育的に活用する方法の一例が、わかりやすいかたちで紹介されていた。
V. 商品標本室の見学会
研究報告に続いて、参加者の皆さんを東本館1階の商品標本室へご案内し、整理プロジェクトが進む現況と所蔵品を実際に見学していただいた。部屋の内部には、建材、塗料、陶磁器、金属製品、合成樹脂製品、繊維製品、鉱物、綿、繭、羊毛、食品、商品パッケージなど、バラエティーに富んだ商品見本が陳列されている。中には、原材料から完成品までの製造プロセスを、体系的に見せる工夫も見て取れる。初めて一般公開された商品標本室の内部を、参加者は自由に歩き回り、思い思いの場所で足を止めながら、興味を引かれた対象に眼差しを注いでいた。隣の商品陳列室は、老朽化した床の状態が危険であるため、扉付近から遠望する形となった。
VI. 鼎談
関係者による鼎談では、まず一橋大学名誉教授の片岡寛先生に、商品標本室所蔵品の収集過程をお話しいただいた。片岡先生が一橋大学商学部へ着任された時から、今年はちょうど50年目に当たる。インターネットで簡単に情報が手に入る現代とは異なる時代状況の中、片岡先生は商品の実物を通して検査・鑑定能力を養い、国内産業とグローバルな経済の中で、商品の価値やトランザクションのメカニズムを理解できる教育に力を注がれた。商品見本の収集においては、各時代の産業構造の中でエポック・メーキングなものを購入し、保存することに心を砕かれたという。
その収集を補佐した片岡康子助手は、限られた予算の中で、生活に密着しながら技術の変遷も分かるような商品、あるいは時代の先端を行く機能性の高い商品を集めた経緯を振り返った。それは歴代の教授陣の収集の流れを汲むものでもあり、例えば商品陳列室に収蔵されている複数のテレビ、ラジオ、ステレオなど、時代の生活スタイルに溶け込み、技術の変遷をたどれる商品群と、時を超えて緩やかにつながっている。
片岡先生は在職されていた36年間、商品陳列室・商品標本室所蔵品による産業博物館の構想を温めていらしたという。技術の変遷により、産業構造や企業戦略も変わるが、様々な商品見本を並べることによって、時代の変化を示すことが可能となる。それは在職中に実現することはなかったが、今後、一橋大学がそのような産業博物館をつくり、開放し、日本の産業を考えるひとつのきっかけとなってほしいとの強い希望を述べられた。
小泉先生も、商品標本室の整理が完了したのち、床の状態が悪い商品陳列室の改修工事と資料整理を行い、さらには両室の所蔵品を外部へ向けて公開すべきという将来的な展望を語っておられた。それは所蔵品を通して一橋大学をどのように考えるかという視点に立った時、学内関係者・出身者のみならず、外部の人々に客観的に見てもらい、議論し、検証するというプロセスが、今後の前進のために必要と考えられるためでもある。140年以上の歴史を積み重ねた大学として、責任ある対応と社会的役割が求められる時期に来ているだろうと強調された。
VII. フロアを交えた質疑応答、ディスカッション
鼎談後、フロアとの質疑応答では、興味深いディスカッションが展開した。参加者から商品陳列室・商品標本室所蔵品のデジタル・アーカイヴ化へ向けた希望が述べられると、小泉先生も資金的問題はありながら、資料の解説を付したデジタル・アーカイヴ構想へ、将来的な意欲を示された。フロアと壇上との応答を通じて、所蔵品の価値をどのように考えるか、何を残し何を棄てるのか、その基準はどこに置くのか、収集時の商品学の文脈の中での価値や、大学の像を示すものとしての価値のみならず、多様な商品見本の各分野での歴史的価値について、意見が交わされた。そして、所蔵品の全体像から見えてくる技術の大きな変化の流れや、各時代の産業のダイナミズムを切り取り、未来へのヒントを示しうるメディアとしての可能性にまで、議論は及んだ。
今後、商品陳列室・商品標本室という一橋大学の文化資源を、どのように価値づけ、活用してゆくのか。文化財の価値と活用に関心が注がれる現代にあって、この問題が本学内部にとどまらず、大学全体としての社会的役割が問われていることが、このシンポジウムを通して、強く印象づけられることとなった。
文責:手塚 惠美子(一橋大学研究補助員)