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一橋大学博物館研究会ワークショップ ナビ派の2019年【報告】

ポスター
  • 日時:2019年12月16日(月)15:20~18:00
  • 場所:一橋大学 国立キャンパス(東)国際研究館3階 大会議室
  • 主催:一橋大学博物館研究会
  • 事前予約不要|定員 先着30名
  • 主催:一橋大学博物館研究会
    科研費 若手研究(B)美術制度から見たナビ派の受容と現在(課題番号 18K12227)
登壇者(発表順)
小泉 順也(一橋大学大学院言語社会研究科准教授)
「20世紀のポール・セリュジエ――《タリスマン(護符)》をめぐる逸話の再検証」
横山 由季子(金沢21世紀美術館 学芸員)
「19世紀から20世紀へ――ボナールが繋いだ絵画と装飾」
吉村 真(早稲田大学大学院文学研究科 博士後期課程)
「2019年のテート・モダンにおけるボナール展からみる研究の現状」
袴田 紘代(国立西洋美術館 主任学芸員)
「ヴュイヤール、ケル=グザヴィエ・ルーセルをめぐる近年の展覧会」
報告

寒空に晴れやかな青空が垣間見られた去る12月16日、一橋大学国際研究館にてワークショップ「ナビ派の2019年」が開催された。近年、19世紀末のフランスにおいて新しい絵画様式の革新を試みたナビ派と呼ばれる芸術家たちに注目が集まっており、彼らの活動は世界各地の美術展で採り上げられている。日本でも2017年に三菱一号館美術館で『オルセーのナビ派展』、2018年に国立新美術館で『ピエール・ボナール展』が実施されたことは記憶に新しく、この潮流は2019年以降も続くと展覧会予告から予想される。今回のワークショップを通して、ナビ派研究における近年の動向が会場の様子や章立て、選定作品、研究機関、そして遺族のコレクションといった多角的な視点で議論され、今後の課題も複数提示された。聴講には首都圏の美術館のみならず、遠方では広島の美術館に勤務されている学芸員の方々、ナビ派に関心をもつ大学院生が集い、アットホームな雰囲気の中、活発な意見が交わされた。

最初に、小泉先生の「20世紀のポール・セリュジエ――《タリスマン(護符)》をめぐる逸話の再検証」と題する発表では、2018年から2019年にかけてオルセー美術館で開催された『セリュジエの《タリスマン》、色彩の予言』展の報告と、20世紀のセリュジエ再評価に対する一つの道筋が示された。

展覧会では、初めて《タリスマン(護符)》の裏側を見せる工夫がされていた。そこにはセリュジエがゴーガンの指示に従ってポン=タヴェンで描いたことを表明する一文が1888年10月という時期とともに記載されており、ナビ派の結成にとって重要な意味を持つ作品であると知られている。このような展示方法はその逸話に説得力を持たせる仕掛けであると同時に、制作された年代と場所をとくに強調するものである。さらに、そのすぐ近くには同年にセリュジエが描いた《ポン=ダヴェンの屋内》が展示された。ナビ派とは異なる様式で描かれているこの作品をわざわざ隣接して見せるのはなぜだろうか。実のところ、現在の題名は改名後のものであり、元は《あるブルターニュの室内》と名付けられていた。《タリスマン(護符)》からの様式変化や、それが生まれた地名を強調するため、何かしかの配慮が働いたようにも思える。《タリスマン(護符)》の逸話の定着化を促す展示がされている一方、同展覧会では20世紀におけるセリュジエへの再評価を示唆する作品も紹介されていた。それが《四面体》(1910年)である。大きさの異なる幾何学模様が画面の四方に描かれた後半生の作品だが、その様式はナビ派というよりもキュビズムに近い。今後、この作品をどのような美術史の文脈に繋げていくのか。20世紀に入り画家の活動が多様化することを考慮して、複数のコンテクストを用意しておく必要があるのではないかとの見解が述べられた。

続く吉村さんの発表では、2019の1月から5月にかけてロンドンのテート・モダンで開催された『ピエール・ボナール、ザ・カラー・オヴ・メモリー(記憶の色)』展の報告と、そこから見えた研究の課題および展望についてお話いただいた。この展覧会では初期作品から晩年に作成された105点もの絵画が年代順に配置されていた。キュレーションを務めた同館学芸員のマシュー・ゲール氏によると、開催の目的は、ボナールの様式の転換期とされる1912年以降に作品制作で用いられた、「記憶」を解釈し絵画化する方法に焦点を当てたのちに、20世紀における画家の位置を検討することである。実際、展覧会の冒頭部では《男と女》(1900年)と《庭の若い女性たち》(1921-23年、1945-46年)が並列されて、一貫した作風でありつつ、反復・回帰する傾向が示されていた。また、興味深い展示として、1925年頃に制作された油彩画5点を額装から外した状態を見せる方法を挙げ、これはアトリエで実際に行われていた制作過程に近づけた企画者側の工夫であり、鑑賞者にそれを想像させる新しい試みであるとの紹介があった。

その一方で、「20世紀におけるボナール」を、記憶をテーマに見直す趣旨としてはその位置づけに必要な文脈が乏しかったと吉村さんは指摘する。結果的にグリーンバーグ流のフォーマリズム的モダニズムという既存の見解に頼ってしまっていた。また、ナビ派の画家や、かつてはそこに位置付けられていた芸術家たちとの交流および影響関係に対する考察がないという、ボナール研究で陥りやすい傾向がこの展覧会でも見られた。その上、「記憶」が重視されていたため、印象派から受け継いだ「自然観察」に基づいて制作された作品が過小評価されていた部分もあったとのこと。展覧会ではこれらの問題点が浮き彫りになったが、具体的な研究の展望も二つ見えてきた。一つ目はイギリス独自のボナール受容の系譜の検討、二つ目は第一次世界大戦後の作品を介した、画家の政治的姿勢や社会的関心の検討である。これらの考察から、20世紀におけるボナールの位置づけを探っていけるのではないかという結論に至った。

横山さんは、パリのリュクサンブール美術館で開催された『ナビ派と装飾』展(2019年3月13日-6月30日)とフランクフルトのシュテーデル美術館で行われた『マティス-ボナール――絵画万歳!』展について報告された。発表では、二つの展覧会を通して見えてきた装飾、あるいは装飾性という観点から浮き彫りにされるボナール絵画の可能性について考察を行った。まずはボナールについて、19世紀と20世紀とで受容、評価の面で切り離されてしまうことが多い画家であると指摘した。しかし、実は画家が目指した方向性は一貫していたという見方から、両世紀の作品を繋ぐキーワードとして装飾が挙げられるのではないかという見解を示した。

ナビ派の画家たちは、芸術の新たな可能性を装飾に見出し、実際に数多くの装飾作品を手がけた。そのため、1990年代に開催された多くのナビ派展において、装飾というテーマが展示の一章に充てられる場合は珍しくない。今回のリュクサンブール美術館の展示は、装飾が全体のテーマになっていた点で稀であり、2001年のシカゴ美術研究所とメトロポリタン美術館を巡回した展覧会( « Beyond the Easel »)以来であった。展示は、総じて非常に説得力があるもので、例えば、装飾画は当時想定されていた高さと同じ位置に掛けられていた他、ナビ派が影響を受けた浮世絵はクレポン紙(仏語:crépon)に摺られたものが展示されており、ボナールがその色のけばけばしさを好んでいた事実に加え、実際にそのような浮世絵からの影響が実感できたという。続くシュテーデル美術館での展覧会では、ボナールとマティスの作品を並列する展示方法が採られていた。それによって、両者には類似した構図の作品が多い点を再確認したほか、様式の違いも明確に捉えられた。揺れるようなタッチで描かれたボナールの作品は、マティスの平板でリズミカルな装飾的とは異なり、織物やモザイクに似た効果を引き出しているという分析がなされた。

最後に、2019年以降もナビ派・ボナールに焦点を当てた展覧会が日本や外国で数多く開催されるという紹介があった。そこでは新たなセノグラフィーの試みや今まで展示されてこなかった作品が選定される予定で、今後、研究の進展が期待される。しかしながら、必ずしも新しい切り口の提示だけが展覧会の意義ではない。個人コレクターの協力によって徐々に明らかにされているナビ派の全貌を丁寧に紹介するような展覧会もあってよいのかもしれないという見解も示唆された。

最後の登壇者である袴田さんは、この秋同時期に開催されたルーセルとヴュイヤールに関する三つの展覧会の意義や背景について発表された。まず、近年相次いだルーセル展の立役者がマシアス・シヴォ氏である点に触れた。彼の主宰するヴュイヤール・アーカイヴは、ヴュイヤールと義兄弟であったルーセルの未公開資料や写真も管理しており、それらを展覧会に貸出すことで、資料面から画家の作品紹介を補完してきたという。実際、袴田さんが訪れたジヴェルニーの印象派美術館での『ケル=グザヴィエ・ルーセル――私的な庭、夢見られた庭』展も、ヴェルノン美術館の『エドゥアール・ヴュイヤールとケル=グザヴィエ・ルーセル――家族の肖像』展も、同氏が中心となり企画された。前者では、宗教・神話主題の絵画のほかにステンドグラスのデザイン画といったグラフィック・アート、ロマン主義の特徴がみられるリトグラフ等が展示され、ルーセルの画業の初期から晩年までを見渡す内容であった。後者の展覧会では、ヴュイヤールとルーセルの家族を描いた両画家の絵画や素描、そして全展示作品のおよそ半数を占める点数の写真が展示されていた。これらの展覧会が開催されてもなお、ナビ派としてのルーセルの評価はいまだ確立していないという。その理由として、20世紀に作成された作品が主題・様式面でともにモダニズムに抵抗していること、そして、現存する初期作品が少ない上に公立美術館の所蔵作品数も僅かであることが挙げられる。また、ルーセルを採り上げる際、ヴュイヤールとの関係を強調する構成が採られる場合が多いという現状もある。

これらの点をどのように捉えて発展させていけばよいのだろうか。現在、遺族のネットワークを駆使し、シヴォ氏がルーセルのカタログ・レゾネを編纂している最中である。今後、そこから画家の新たな一面を表出するような展覧会の企画があるかもしれない。実際にヴュイヤールへの評価はこのような研究を通して定着化されてきており、ルーセルもこの潮流に乗っている。袴田さんは、顕在化した課題として、これまで遺族の協力のもと築かれてきた画家のイメージの見直し、そしてルーセルをヴュイヤールと切り離したときの適切な評価付けの二点を指摘された。一方、バーミンガムのバーバー美術研究所で開催された『ママン――ヴュイヤールとヴュイヤール夫人』展は、画家が夥しい数描いた母親の肖像に焦点を絞った、学術的にも興味深い展覧会として紹介された。親密な空間である家庭の室内で、画家と同居しつつ仕事をして一家を支え、ときに息子の制作活動にも協力するなど、従来の「女性らしさ」の枠に収まらない母親像にフォーカスすることで、フェミニズムの観点へと開かれた文脈でヴュイヤールの作品が見直されたという。今後は、このような学術的な視点を含む展覧会も考えられ得るのではないかという見解が述べられ、発表は締めくくられた。

今回採り上げられた展覧会では、ナビ派作品を一堂に会して紹介するものよりも、「装飾」や「母親像」のようなテーマ設定、キュビズムとの繋がり、制作過程を鑑賞者に連想させる展示方法、ナビ派以外の画家の作品との比較など、多種多様なアプローチがなされていた。こうした背景としては、オルセー美術館を初めとする主要な美術館の展覧会のみならず、地方を含めたフランス各地の遺族や関係者による地道な研究活動やカタログ・レゾネ編纂が、ナビ派研究の進展を大きく支えている。今回のワークショップでは、2019年に開催されたナビ派展の様子が詳細に共有される中、新たな展示の提案や研究の展望がより具現化した点で、ナビ派をめぐる考察がさらに大きく前進したのではないだろうか。予定終了時刻を過ぎても議論は尽きず、20世紀における再評価の難しさやダイナミズムが改めて感じられた。ここで交わされた意見がいつの日か日本で開催される展覧会で反映される可能性を考えると、歴史的に意義深い現場を目の当たりにした気持ちになった。

文責:上田 あゆみ(言語社会研究科博士後期課程)