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ワークショップ 日本の美術館とブルターニュ 【報告】

ポスター
  • 日時:日時:2023年5月22日(月)13:30~16:30
  • 開催方法:Zoomミーティング (一橋大学の関係者(学部生及び大学院生等)は当日ご視聴いただける教室をご用意します。)
  • 事前予約制:締切 2023年5月18日(木)21:00
  • 定員:Zoomミーティングの参加者は100名まで、先着順
  • 主催:一橋大学大学院言語社会研究科
    (科研費) 日本の美術館とフランス近代美術コレクション:多様性と同質性をめぐる国際比較(22K00121) 
  • 連絡先:小泉 順也(一橋大学)
【報告】ワークショップ 日本の美術館とブルターニュ

2023年5月22日、ワークショップ「日本の美術館とブルターニュ」がオンラインと実会場のハイフレックスで開催された。本ワークショップは、図らずも2023年3月下旬から6月上旬という同じ会期で開催されたブルターニュにまつわる2つの展覧会「憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷―」(国立西洋美術館)と「ブルターニュの光と風 ―画家たちを魅了したフランス〈辺境の地〉―」(SOMPO美術館)を契機に催され、日本においてフランス近代美術が広く浸透してきた背景、また日仏美術交流やポストコロナ以降の美術館活動を議論する機会となった。

オンラインにはWeb会議システムZoomを使用し、発表会場・運営本部・予備室・視聴用教室(学内限定)のみ一橋大学国際研究館の各教室を用いて行われた。遠方からの参加者はもちろん、大学教員や学芸員、院生から学部生まで全体で90名を超える登録があり、最大で72名が参加した。

ワークショップは研究発表と全体討議の2部で構成される。前半の研究発表では次の4名、国立西洋美術館主任研究員の袴田紘代氏、SOMPO美術館学芸員の岡坂桜子氏、一橋大学言語社会研究科の小泉順也教授、同じく言語社会研究科博士課程の新井晃が登壇した。

小泉順也教授による趣旨説明では、フランス北西部のブルターニュ地方をテーマとした展覧会が遠く離れた日本で同時期に開催されたこと、この2つの展覧会が補完しあう関係にあることが強調された。さらにハイフレックス開催を実現できた要因として、一橋大学言語社会研究科がコロナ禍に伴い配備した各種のオンライン対応機材と院生スタッフ6名の紹介が行われた。

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【発表会場の様子:右から小泉 順也教授、袴田 紘代氏、岡坂 桜子氏、新井 晃】

第一部のトップバッターを務める袴田 紘代氏は「『憧憬の地 ブルターニュ』展企画・構成の経緯とその趣旨」と題して、展覧会構成や原案が立ち上がるまでの背景、そしてブルターニュをめぐる美術研究の今後の課題について発表した。

袴田氏によると「憧憬の地 ブルターニュ」展の萌芽は、ご自身が担当した2010年代の小企画展「世紀末の幻想」展(2015)と「モーリス・ドニの素描」展(2016)まで遡ることができる。これら小企画展では、松方コレクションのなかでも展示機会の少ないシャルル・コッテやドニの作品を調査する機会となった。こうした積み重ねを経て、今回の展覧会では約3割の作品が松方コレクションを含める国立西洋美術館所蔵作品からの出品となった(松方コレクションのみだと約2割)。

本展はまたコロナ禍での準備ということもあり、日本の美術館のコレクションが活用された。バンド・ノワール、ポン=タヴェン派やナビ派の作品は、大原美術館、岐阜県美術館、新潟県立近代美術館などを中心に出品された。そのなかでも大きな特徴といえるのが日本人画家たちによるブルターニュ関連作品を紹介する章が設けられたことである。久米桂一郎や山本鼎らの足跡については、これまでも日本の研究者によって調査が行われてきたが、近年ではフランスでも研究がなされており、山本鼎と長谷川潔のブルターニュの木版画を取り上げたアンドレ・カリウー氏とフィリップ・ル・ストゥム氏の事例が紹介された。

今後の課題として、展覧会では紹介できなかった20世紀の前衛画家やフランス以外の西洋画家とブルターニュ美術の関係性、またブルターニュの政治性や社会的立場により踏み込む必要性が述べられた。

次に岡坂桜子氏は「『ブルターニュの光と風』展について ―カンペール美術館コレクションを中心に―」と題し、展覧会の概要とカンペール美術館について発表された。

「ブルターニュの光と風」展は、フランスの内なる異世界であるブルターニュの歴史・自然・風俗を知るというテーマのもと、19世紀のサロン画家から20世紀前半の前衛画家による作品を紹介する展覧会であった。とくに第一章のアルフレッド・ギユやテオフィル・デロールなどサロン買上げとなったブルターニュ主題の絵画は西洋美術館の展覧会には含まれておらず、SOMPO美術館が補うかたちとなっている。

岡坂氏によると、サロンの画題としてブルターニュが流行したのは1838年にアドルフ・ルルーがブルターニュ主題の作品を出展したことに端を発するという。サロンに出展された海景画や風俗画の出品は、ブルターニュといえばすぐに想起されるポール・ゴーガンやポン=タヴェン派の作品群とは異なる一面を提示していた。そして第三章で取り上げられた20世紀以降の新印象主義やフォーヴィスムの作品においては、一見するとブルターニュ主題の作品とは判別できない風景画がある一方で、民族衣装をまとったブルターニュ女性というステレオタイプ的な作品も描かれていたことが指摘された。

カンペール美術館はジャン=マリー・ド・シルギー伯爵のコレクション6千点がカンペール市に遺贈されたことで1872年に開館した美術館である(遺贈品のうち、美術館に収蔵されたのは主に、絵画約1,200点、素描2,000点である)。しかしシルギー伯爵のコレクションはオールドマスターが中心であり、ブルターニュ絵画の収集はアルフレッド・ボー館長の時代からはじまった。ギユやデロールと友人関係でもあったボー館長は失われつつあるブルターニュの伝統を残すことを目的に作品を収集し、今回の出展作品も概ねこの頃に収蔵された作品で構成された。また20世紀以降の作品として、第二次世界大戦中に収容所で命を落としたマックス・ジャコブと彼の友人たちのコレクションの存在も語られた。

続いて小泉順也教授は発表題目「日本の美術館に残されたブルターニュの痕跡」として、コレクションを観点に2つの展覧会を振り返りながら日本の美術館が如何に早い時期からフランス近代美術を収集してきたのか、そのなかにどのようなブルターニュ主題の作品があるのかについて発表された。

「憧憬の地 ブルターニュ」展については、ゴーガンの作品《ブルターニュの農婦たち》(1894)がウクライナ出身のコレクターであるマックス・カガノヴィッチからジュ・ド・ポーム美術館を経てオルセー美術館へ収蔵されたこと、シャルル・コッテの《悲嘆、海の犠牲者》(1908-09)は西洋美術館所蔵のものがサロンに出展されたもので、オルセー美術館にある同作は画家が再制作したものであることが紹介された。

他方、「ブルターニュの光と風」展に出品されたギユの《コンカルノーの鰯加工場で働く娘たち》(1896)とペーダー・セヴェリン・クロイヤーの《コンカルノーの鰯加工場》(1879, デンマーク国立美術館)の比較からは、同じ主題でもあってもブルターニュ出身画家と外国人画家では描く眼差しが異なることが明らかとなった。

サロン出品作の額縁に時折付された「Envoi de l’état」のプレートは、国家買上げとなった後に地方へ送られたことを示すもので、作品の来歴をたどるうえで欠かせない手掛かりとなる。またポール・セリュジエについては、フランスでは1930年にリュクサンブール美術館が購入した事例が最初であるのに対して、日本ではすでに1920年に大原孫三郎の命を受けた児島虎次郎が作品を購入しており、セリュジエ受容を考えたときに日本は重要な国であることが指摘された。

国内の展覧会へ目を向ければ、アーティゾン美術館の石橋財団コレクション展(2023年2月25日―5月14日)においてクロード・モネの《雨のベリール》(1886)やポール・シニャック《コンカルノー湾》(1925)、さらにはブルターニュへ5度訪れた坂本繁二郎の作品と同地で収集した絵葉書が展示されていた。この所蔵品展にも明らかなように、日本の美術館のブルターニュ関連作品のさらなる調査研究に期待が寄せられる。

最後に、本稿の執筆者でもある新井晃が「ブルターニュに魅了された20世紀の作家たち」というテーマで発表を行った。「憧憬の地 ブルターニュ」展のアルバイトにも携わった私は、これまで日本で実施されてきたブルターニュ美術の展覧会が19世紀から20世紀初頭までの作品に限られていることに着目し、20世紀のフォーヴィスムからヌーヴォー・レアリスムまでの作品とブルターニュの関係性について取り上げた。

1895年から3年間をブルターニュで過ごしたアンリ・マティスは、初めての滞在時に制作した《ブルターニュの村》(1895)と最後の滞在時に描いた《ル・パレ港、ベリール》(1896-97)の比較において、彼にとってブルターニュ滞在が純色と荒い筆致で単純化して描く方法を発見する場所となったことがわかる。またロベール・ドローネはゴーガンの作風を研究する過程でブルターニュに来訪しており、《海藻を広げるブルターニュ女性》(1906)においては丘陵や人物の描き方にゴーガンの《海辺に立つブルターニュの少女たち》(1889、国立西洋美術館所蔵)などを参考に制作したことが指摘された。そしてブルターニュで家族と夏季休暇を過ごしたパブロ・ピカソ、父を亡くし孤独な幼少期をブルターニュの親戚の家で過ごしたイヴ・タンギーについては、こうした思い出が作品に昇華されたとする先行研究が紹介された。

 1954年、フランスの抽象画家たちは美術批評家シャルル・エスティエンヌの誘いを受けてブルターニュに来訪した。ルネ・デュヴィリエやデゴ・テックス、またオプ・アートのヴィクトル・ヴァサルリは、ブルターニュの自然や郷土料理に関心をもち、そこから抽出した造形を作品に用いた。そしてヌーヴォー・レアリスムのジャック・ヴィルグレとレイモン・アンスは、ポスターや老舗銘菓のロゴなどを作品に転用しており、19世紀末から20世紀初頭の作家たちが惹きつけられてきた荒涼な海と大地、民族衣装や宗教遺物とは異なる事物が新たなブルターニュ表象の一例が提示された。

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【全体討議の様子:右から小泉 順也教授、袴田 紘代氏、岡坂 桜子氏
(画角は発言者を認識するMeeting Owl Proによる)】

後半の全体討議では、まず登壇者が互いの研究発表についてのコメントを行い、次に参加者の質問に応答するかたちで議論を進めていった。

後半の全体討議では、まず小泉教授から第一部の振り返りとして、ブルターニュの全体像を捉えるためには2つの展覧会では深く掘り下げることができなかった文学・考古学・言語学も考察の範疇に加えて、この地域が歴史的に抱えてきた困難などの負の側面についても見ていかなければならないことが指摘された。さらに画家たちがブルターニュに惹かれた理由や、なぜ日本にこれだけの作品が現存するのかについて、さらなる調査の必要性を言及した。そして20世紀から21世紀の作品にブルターニュがどのように紡がれているのか、19世紀とは別の位相にあるのかについてもまた、今後の課題であることが提示された。

続いて袴田氏は、偶然にも2つの美術館で同時期にブルターニュ展が開催された事実に対して、ブルターニュを複数の角度から見て考える機会になったことを強調した。そして、今回の展覧会が日本におけるフランス近代美術の受容史に将来的に貢献する可能性について期待を寄せた。

そして岡坂氏は、ブルターニュ主題の作品を調査するとき、ブルターニュ出身者による作品なのか、あるいはそれ以外の地域の人の手による作品かによって表象に相違がみられるのか否かという疑問点を指摘した。

最後に私が、自身の発表で取り上げた作品のほぼ全てがフランスの美術館あるいは個人の所蔵であることに触れつつ、20世紀後半から21世紀のブルターニュに関連する作品を日本の美術館や研究者がどのように調査していくのか、岡坂氏の「ブルターニュの当事者と他者」という視点も踏まえたうえで改めて考えねばならない必要性を指摘した。

質疑応答では、チャットと音声によって5件の質問やコメントが寄せられた。そのなか2点を取り上げれば、19世紀末から20世紀初めのブルターニュはどの程度プリミティヴであったのか、民族衣装の女性や自然は実際にどの程度残っていたのか、という疑問が寄せられた。小泉順也教授はブルターニュの近代化についての厳密な調査は難しいとしながらも、物価や賃金の安さ、または観光ガイドを年代で追うなかで見えてくることがあるかもしれないと返答した。

また上原美術館の学芸員からは、調査した書簡から日本人画家たちのブルターニュ滞在に関する記述があるとの具体的な情報が寄せられた。それに対し袴田氏は、梅原龍三郎がオーギュスト・ルノワールの薦めでブルターニュを訪れたことなどを言及しつつ、一次資料の調査を進めるなかでさらに見えてくる視点があるだろうと指摘した。小泉教授は西洋美術と日本近代美術の研究者が共同研究を行なうことで、さらなる成果がもたらされるであろうと期待感を表明した。

今回のワークショップを通じて、日本の美術館にはブルターニュに関するフランス近代美術や日本近代美術の資料が数多く収集されていることが改めて明らかとなった。その一方で、当事者と他者による眼差しの問題や、20世紀後半以降の美術とブルターニュの関連性をどう考えるのかという新たな課題も見えてきた。もっとも、今回のワークショップには大学と美術館がゆるやかに連携することで知見が共有され、調査研究をより進展させるという意図も盛り込まれていた。その意味では、美術館や大学という垣根を越えてブルターニュと美術について知識を共有し意見を交わす場になったのではないだろうか。このワークショップが、今後のブルターニュ美術の研究はもちろん、大学と美術館が連携する契機となることを期待したい。

文責:新井 晃(言語社会研究科博士後期課程)