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ワークショップ 【報告】「日本の美術館と西洋近代美術」東京編
- 日時:2024年4月29日(月・祝)13:30~16:40
- 開催方法:オンライン(Zoomミーティング)
- 定員:90名
- 主催:一橋大学大学院言語社会研究科
科研費「日本の美術館とフランス近代美術コレクション:多様性と同質性をめぐる国際比較(22K00121)」 - 連絡先:小泉 順也(一橋大学)
【報告】「日本の美術館と西洋近代美術」東京編
はじめに
ワークショップ「日本の美術館と西洋近代美術―東京編」は、2024年4月29日にオンラインおよび一橋大学国際研究館における対面のハイフレックスで開催された。この企画は、一橋大学言語社会研究科出身の3人の学芸員および研究員を招聘し、西洋近代美術の視点から日本の美術館の歴史を振り返り、現在地の一角を示そうというものである。
ワークショップはWeb会議システムZoomを用いてオンライン視聴者に配信され、また対面参加者は国立キャンパス国際研究館の発表会場に集った。Zoomでは九州など遠方からも参加者があり、約90名の大学教員や学芸員、大学院生や学部生が視聴した。
本イベントは講演と全体討議の2部で構成された。小泉順也教授による趣旨説明では、本研究科は学芸員および研究員を相当数輩出しており、各世代間の議論を通じて意見交換し、相互に繋がる機会を設けたいと述べられた。さらに本ワークショップは、対面とオンライン双方で配信する可能性を模索し実現する好機であることが強調された。
ハイフレックス開催は、一橋大学言語社会研究科がコロナ禍に授業の配信に用いた各種のオンライン対応機材を用いて実現した。加えて院生スタッフ5名が準備と運営に当たった。
第一部 研究発表
第一部の研究発表では、最初に練馬区立美術館の小野寛子氏が登壇した。2022年9月から11月に開催され、ご自身が担当された展覧会「日本の中のマネ―出会い、120年のイメージ」について振り返った。そして「『日本の中のマネ』展より:小川千甕《田園風景》にみるマネからの影響」と題した後日譚を披露した。日本におけるエドゥアール・マネの受容の全容を、主に造形的影響関係および美術批評・芸術論を着眼点にして明らかにした展覧会は4章で構成された。中でも日本の美術館が所蔵する日本の近代洋画家による作品群で構成した「3章 日本におけるマネ受容」が一番の見どころであった。着目すべきは日本の近代画家小川千甕がマネの《草上の昼食》を解釈し、日本の風景の中で再構成し、新たな絵画を創作するに至る過程であったという。千甕は写生で捉えた日本の風景に、マネが《草上の昼食》で行ったように人物を配し、結果として日本の写生を越えた創作を実現した。このように本邦では、純粋な画的興味に基づいて作られた作品がマネの受容として現れ、それが後年の日本で見られるパターンとなった。これは全国の美術館に所蔵されている日本近代洋画を通観することによって得られた知見である。
次の登壇者である東京国立近代美術館企画課情報資料室の長名大地氏は、「東京国立近代美術館と/の西洋美術」というタイトルで、同館で過去に開催された西洋美術に関する展覧会を概観した上で、コレクション形成の過程および館の拡張や増築の沿革に関する発表を行った。
東京国立近代美術館の企画展は550回以上に上るが、そのうち西洋美術を包括的に紹介した展覧会は16回、ダダやシュルレアリスムなどの美術動向をテーマにした展覧会は15回、個人の芸術家による回顧展は38回ほど開催されたという(これらは便宜上、デザインや、工芸、写真等は除いた数字である)。発表の前半で目を惹きつけたのは、それら企画展会場を撮影した、白黒ではあるが鮮明な写真であった。長名氏は、後半では西洋美術のコレクション形成について語られ、コレクションの増加に伴う収蔵庫の拡張に焦点を当てながら各時代の館内の図面を交えて紹介されたが、西洋美術のコレクションを拡充していくには、資金面等で限界があるため網羅的な収集は難しいと語られた。そこで美術資料に目を転じて、それらもコレクションの一部と見なせば、所蔵品は格段に豊かになるのではないかと述べていた。その例として、東京国立近代美術館が資料として受け入れ中の書籍『DADA 1』(1917年)などが挙げられた。アートライブラリには、美術史を物語る上で重要な資料が多数所蔵されている。作品データベースだけでなく蔵書を検索することで、西洋美術の文脈で活用可能な資料との出会いがあるという。長名氏は、資料は作品よりも下位に置かれがちであるが、その潜在的価値を見直し位置づけを再考する必要もあると結んだ。
3番目の登壇者で世田谷美術館学芸員の樋口茉呂奈氏は、「世田谷美術館の素朴派―コレクションと開館記念展『芸術と素朴』に始まる活用について」というタイトルで発表を行った。
最初に、世田谷美術館による素朴派(L’art naïf)の作品収集の背景が説明された。世田谷区は広大な住宅地を有しているため、区民生活と直結した美術館を開館当初から目指していた。そのため、館では専門化された芸術だけでなく、誰もが身近に感じられる芸術の収集に注力している。館の収集方針に、アカデミックな美術教育を受けていない素朴派の作品は親しみやすく好適であった。世田谷美術館の素朴派の収集歴は、1982年にさかのぼる。
世田谷美術館の収蔵する作品の画家アンリ・ルソーやアンドレ・ボーシャン、ルイ・ヴィヴァン、ジョン・ケーンなどの具体的な作品が紹介された。樋口氏によると、画家の国籍はフランス、アメリカ、イタリアさらには旧ユーゴスラビアに及ぶ。
当館では、開館記念展の「芸術と素朴」展を皮切りに、相当数の展覧会が開催された。素朴派が近現代美術すなわちピカソなどに与えた影響についても検討した。さらにアウトサイダー・アートと素朴派を合わせた展示などを試みてもいる。それらの展覧会の中には中国から巡回してきたものもあり、素朴派への国際的な注視が読み取れた。
最後に登壇した小泉順也教授は、日本の美術館の歴史的展開を振り返った。その実態や館数を詳細に調査するのは困難であるが、『日本美術年鑑』『全国美術館ガイド』の類を繙けば、西洋近代美術に関わる各地の美術館が「いつ」「どこで」「どのように」設立されたのかを可能な範囲で確認できるとのことであった。
時代の推移のなかで美術館は閉館を余儀なくされるケースもあり、収蔵された作品であっても散逸するリスクが伴う。そうした事例の検証を通して、美術館のコレクションを取り巻く脆弱な環境が見えてくるだろうとの指摘がなされた。エピローグで、小泉教授は、山梨県立美術館が所蔵するミレーの《種をまく人》を開館時に見て、その後の人生が変わった高校生のエピソードを引用しながら、美術館が紡いだ興味深い物語を披露して発表を終えられた。
第二部 全体討議
第二部は、オンラインの視聴者から寄せられた質問に講演者が回答する形で開始した。まず、「日本の中のマネ」展の図録の表紙を飾った熊岡美彦の《裸婦》のポーズはマネの《オランピア》よりも、アングルの《グランド・オダリスク》の系譜に属するのではないか、という指摘が寄せられた。小野氏はそのとおりであると認めたうえで、それについて近く補足し発表する機会を得たいと回答した。
次に、東京国立近代美術館が過去に開催した西洋美術展のうち、どの程度の比率が学芸員の自主企画であるのか、という質問が同館の長名大地氏に寄せられた。長名氏は、個々の企画展の経緯については調査が必要であるとしつつ、1975年のいくつかの展覧会は三木多聞氏が担当しており、自主的に館が企画した展覧会の可能性が高いことを示唆した。
第3の質問は小泉教授に向けられた。日本に所蔵されている近代美術のうち、西洋美術の占める割合はどの程度か、さらに日本所蔵の近代美術を国別に分類したらどのような内訳になるか、という内容であった。教授は、感覚的な回答にとどまると留保しつつも、2パーセントを切ると思われると回答した。また、国別に見ればフランス美術への偏りが見られるとした。
小野氏へは、土田麦僊の《大原女》はマネの《草上の昼食》から着想を得たと言われているがどのように思うかとの指摘があった。小野氏は《大原女》のマネの受容を肯定しつつも、展覧会で1点のみ日本画を配置することは、バランスを欠く可能性があり展示に含めなかったと述べた。さらに、日本画におけるマネ受容の可能性を整理し消化しきれなかったためらいもあったという。
全体討議の後半は、講演者が相互に意見や感想を交換する場となった。
長名氏は、ご自身の発表で触れることができなかった点を補足して締めくくった。目下、東京国立近代美術館のMOMATコレクション展の3階第7、8室にて「プレイバック『日米抽象美術展』(1955)」という展示コーナーを設けており、本展示は館の過去の展覧会を振り返る好機であるという。本日長名氏が発表された京橋時代の館の様子がVRで再現されており、当時の様子が味わえると紹介した。
また樋口氏は、小野氏に対し、展覧会で森村泰昌氏や福田美蘭氏などの現代の作家の作品を展示するパートがあったが、作家に出品を依頼するに当たってどのようなやり取りがあったか伺いたいと述べた。これに答えて小野氏は、両氏にはご自身の受容に関する論文を読んでいただいて展示の趣旨をご理解いただき、あわせて興味を持っていただけたと明かした。
樋口氏は、今日発表したL’art naïfと呼ばれる美術作品の展示に関して世田谷美術館は先駆的な立場にあるが、館はこれまでの図録では精神的な病を抱えている人々の作品を「アウトサイダー・アート」、それ以外の作品を「素朴派」のそれと呼んでいるという状況に言及した。
小泉教授は、近年の美術界に、ぽつりぽつりと「美術館人」(美術館の運営や企画展のプロデュースに携わり、支える人々)にスポットライトを当てる動きが見え始めたと、新たな脈動に言及した。そして、Bunkamuraザ・ミュージアム運営に長く関わった木島俊介氏がまさにその「美術館人」でおられるとした。木島氏は残念ながら2024年4月にお亡くなりになったが、教授はそのことを思い起こしながら今回のワークショップを迎えたという。小泉教授は、彼らのような美術館を支えている方々の足跡をどう継承し、資料化し、明文化していけるかが喫緊の課題となりつつあるとし、閉会の辞に代えた。
おわりに
全体討議では、オンラインの視聴者から重要なご指摘が寄せられた。それによってさらなる調査の必要が明らかになり、またこれまで得られた知見を振り返ることが可能となった。本ワークショップの後半は、遠方からの参加者があってこそ成立したセッションであったことは見逃せない。いまだ技術的課題は残るものの、ハイフレックスは今後のスタンダードになるのではないか。そう期待を込めて筆を置くこととしたい。
文責:武笠麻里子(言語社会研究科博士後期課程)
【言語社会研究科の学芸員養成を振り返る】
これまで、美術館の学芸員を招聘した学術イベントを定期的に開催してきたが、言語社会研究科の出身者に限定してプログラムを構成したのは今回初めてであった。私は2012年一橋大学に着任したが、本研究科では2002年から学芸員資格科目の提供を開始しており、それから二十数年が経っている。
初めの頃を振り返ると、多くの大学院生が美術館に勤務しながら授業に参加している実態に接し、たいへん驚いた記憶がある。勤務先は東京都内にあることが多く、なんとか働きながらでも大学院に通える環境にあった。私のゼミでは最多で7人、平均すると4、5人の現役のゼミ生が美術館や博物館で働きながら授業に出てきている。2024年7月時点で6人のゼミ生が、町田市立国際版画美術館、国立西洋美術館、東京国立近代美術館、練馬区立美術館、府中市美術館、豊島区の鈴木信太郎記念館で学芸業務などに従事する一方、ときに有給休暇をやり繰りしながら授業に参加し、休学期間を使いながらゼミに所属してくれている。任期なしの常勤職は2名のため、非常勤や任期付きの勤務形態も含まれるが、キャリアを積むなかで各人がしかるべき場所を得ていくに違いない。
いずれにせよ、現役の学芸員がゼミのなかに常にいる環境は、様々なかたちの教育効果をもたらしている。彼女たち、彼らとのやり取りを通して、指導教員という立場を超えて私も多くのことを学んでいる。この度の企画は、こうしたゼミ生や出身者に備わる着眼点や研究成果のおもしろさを広く伝えたい、という思いから着想されたものであった。それがどこまで実現し得たのかはわからないが、90名近い方々にご参加いただけたことは望外の喜びであった。
準備を重ねたつもりでも、機材トラブルをなくすことはできず、若干の反省点は残されている。今回、音声の設定に初めてオーディオインターフェイス、ワイヤレスマイクを使用してみたが、通常の授業と異なり、数時間に及ぶイベント開催には更なる用意が必要であると実感した。ハイフレックスという情報発信の方法が今後も生き残るには、一層の進化が求められるだろう。そのために得られた新たな知見を今後の活動に活かしていきたい。
文責:小泉順也
©2024 一橋大学大学院 言語社会研究科