教員と研究領域/第1部門(人文総合)
中山 徹
研究室: | 東キャンパス国際研究館4階 |
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メッセージ
英国ロマン派の詩人ワーズワスは、「想像力が立ち現れる」とき「目に見えなかった世界がわれわれに開示される」と歌った。像なきものに像を与える力、詩人はそれを「想像力」と呼んだわけである。この開示は「開示」である以上、その媒体としてなんらかの感性的な素材――言葉、イメージ、音――を必要とする(ちなみにベラ・バラージュは「色彩が絵画の素材であり、音が音楽の素材であるように、映画の素材は光と影である」といった)。これは途方もない逆説である。なにしろここでは、感性的なものによって非感性的なもの(不可視の世界)を表現することが求められているのだから。それゆえ、この「開示」を単なる表象としてとらえることはできない。それは表象不可能なものの表象、いわば表象の臨界における出来事なのだから。この要請のもとで使用される素材には、それゆえ、その媒体としての機能の限界を超えた負荷がかかる。言葉はよじれ、イメージはねじれ、音はきしむ(光と影は……どうなるのだろうか)。要するに、広義の文彩、いわゆるtropeが生じるのである(tropeの原義はturn、つまり「ねじれ、ひねり」である)。このような意味での、言葉、イメージ、音――そして光と影の?――tropeとの出会いに向けて思考を鍛え、感性を研ぎ澄ますこと。あるいはこういってよければ、「想像力」の唯物論に向けた理論と実践を展開すること。わたしは、演習(ゼミ)という場がそうしたことを可能にする場になることをつねに願っている。